2016.07.14
トム母、逝く。
1週間ほど前に大動脈剥離の緊急手術をし、1度は持ち直したトム母が危篤ということで、急遽帰国することになった。
朝仕事に行く支度を終えたトムが妹からのLINEで帰国を決意したのだが、さすがに今日出発するのは無理だろうとのんびり準備を始めようとしたところ、旅行代理店から連絡があり、明日の便は取れないけれど今日の便なら取れるというので、今日の出発となった。
まずは猫たちを何とかしないといけない。ペットホテルに電話しても、夏休み中なのでどこも満室。5軒目でやっと予約が取れたので、急いで猫たちをケージに入れフードやワクチン証明書のコピーを用意し家を出た。その時点で11時半を過ぎていた。空港に行くためのタクシーは13時10分に予約してある。
ペットホテルはうちから車で30分ほどのダルキースという街にあり、なぜかGoogleマップと違う場所にあったので少し迷ってしまった。家族経営で猫だけを引き受けているペットホテルで、1匹1日10ポンド。とりあえず1週間分の料金を前払いし、延泊することになったら連絡すると伝えた。
私が事前によく確認しなかったのがいけないのだが、うちの猫たちが泊まるのはアウトドアキャット用の部屋。外に金網が張ってある2畳ほどのスペースがあって、その奥3分の1が小屋になっている。小屋には穴があって自由に外と中を行き来できる作りだ。1匹当たりのスペースは広いけれど、これはもう外と言っていいのではないか。小屋の中にはヒーターがあるというけれど、うちの寒がりの猫たちは大丈夫だろうか。不安でいっぱいだが、選択肢も時間もない。
家に戻ってきたのは13時。正直まだ荷作りは何もしていない。スーツケースに適当に洋服などを放り込み、タクシーに飛び乗った。その10分の間に、「俺のロゲイン(ハゲ薬)のスプレーどこ?」「スプレーなんて知らない、見たことない」「あ、スプレーじゃなくてムース」とか、「香水を包む小さいタオルない?」とかトムが言うので、そんなもの持っていかなくていいじゃん!と軽くキレた。ちなみにトムはランニングシューズもスーツケースに入れていました。
タクシーに乗ってひと安心。ふと自分の格好を見たら、ボーダーの長袖カットソーにジーンズにスニーカー、もちろんノーアクセ。近所のスーパーに行く時でももっと小綺麗な格好してるのに、これで海外に行くとは。
無事飛行機に乗り込んだけれど、なぜか飛行機がまったく動かない。パイロットが来ていないという機内アナウンス。結局2時間遅れで出発した。ロンドンでの乗り継ぎ時間には余裕があるはずだったのに、かなり難しくなった。離陸前にトムが旅行代理店の人やJALのロンドン支店の人とメールのやり取りをし、ヒースロー空港のスタッフにも連絡を入れておいてくれると言う。この乗り継ぎ便を逃すと翌日の朝まで日本行きの便はないのだ。それもJALは予約がいっぱいでBAしかないらしい(BAには乗りたくない!)
飛行機を降りたら紫色の制服を着ているスタッフがいて助けてくれる、とのことだったがそんな人はいない。仕方ないのでトムと2人でひたすら走る。connectionという看板を頼りに、まずはバス乗り場まで走った。ターミナル5からターミナル3の移動はバスで10分。バスを降りてからもものすごく遠い。たぶんターミナルの端から端まで走ったと思う。途中のJALの乗り継ぎカウンターにいた外国人女性スタッフにゲートは1番だと教えられたが、無線でゲートのスタッフと連絡を取った彼女が「もう遅いみたい。ドアクローズすると言ってるわ」と言う。トムが「母が危篤なんです!」と叫ぶと表情が変わった彼女がまた無線に何かを話しかけた。そんな彼女を無視して、さらに走る走る。トムの機内持ち込みの荷物は10キロ以上あるバッグとこれまたけっこう重い大きめのガーメントバッグ。私は小さなハンドバッグ1つだったので、トムのガーメントバッグを持ってあげた。もう息が苦しい、走れない、と思った時にやっと1番ゲートが見えてきた。そしてこちらに向かってゴルフの乗用カートみたいな車が走ってきた。無言でそれに飛び乗り、ゲート前で飛び降りた。間に合ったっぽい。普段走っているのが役に立つ場面というのは意外と多いものだ。正直、走っている人でなければもっと若い人でも乗り遅れたと思う。搭乗券を受け取って飛行機に向かったが、後ろから「申し訳ありませんが、荷物は間に合いませんでした」と叫ばれた。
しゃーない、しゃーない。たぶん無理だと思ってたよ。人間を乗せてもらえただけでも十分有り難い。機内持ち込みのハンドバックの中身は、パスポートと財布と簡単な化粧品とスマホのみ。まさに、近所に買い物に行くのと変わらない。
機内では食事を1回パスするほど爆睡した。飛行機はちゃんと定刻に着き、乗り継ぎのある人に迷惑を掛けなかったことに安堵した。
羽田からトム実家の近くの病院に直行(けっこう遠い)。病院にはトム兄一家とトム妹一家、トム母の弟夫婦が集まって私たちを待っていた。人工心肺のおかげでなんとか命を繋いでいたトム母だが、私たちの到着を待って人工心肺の装置を外すことになっていた。皆でトム母を見送った。
私がトム母に会ったのは、3月の赴任時に羽田に見送りに来てくれたのが最後。トムは先月の日本出張の時の週末に実家に泊まり、一緒に浅草や日本橋に行ってたくさんお喋りしたらしい。あまり苦しむことなかった母はとても幸せな人だとトムは言う。3月に一緒に旅行もできたし、悔いはない、と。たしかにトムはとても親孝行で、マメに連絡するわけではないけれど、たまに会えば「母さんは世界一美人だな」と言い(私にはtomoちゃんは世界一美人だと言う)、母の話をよく聞いてあげ、買い物に連れて行ってあげていた。トム母はトム兄一家と一緒に暮らしていたので、面倒見の良い嫁や孫たちにも囲まれ、なかなか幸せな晩年を過ごしたのではなかろうか。今頃、大好きなお父さん(10年前に他界)に再会できているかな。
朝仕事に行く支度を終えたトムが妹からのLINEで帰国を決意したのだが、さすがに今日出発するのは無理だろうとのんびり準備を始めようとしたところ、旅行代理店から連絡があり、明日の便は取れないけれど今日の便なら取れるというので、今日の出発となった。
まずは猫たちを何とかしないといけない。ペットホテルに電話しても、夏休み中なのでどこも満室。5軒目でやっと予約が取れたので、急いで猫たちをケージに入れフードやワクチン証明書のコピーを用意し家を出た。その時点で11時半を過ぎていた。空港に行くためのタクシーは13時10分に予約してある。
ペットホテルはうちから車で30分ほどのダルキースという街にあり、なぜかGoogleマップと違う場所にあったので少し迷ってしまった。家族経営で猫だけを引き受けているペットホテルで、1匹1日10ポンド。とりあえず1週間分の料金を前払いし、延泊することになったら連絡すると伝えた。
私が事前によく確認しなかったのがいけないのだが、うちの猫たちが泊まるのはアウトドアキャット用の部屋。外に金網が張ってある2畳ほどのスペースがあって、その奥3分の1が小屋になっている。小屋には穴があって自由に外と中を行き来できる作りだ。1匹当たりのスペースは広いけれど、これはもう外と言っていいのではないか。小屋の中にはヒーターがあるというけれど、うちの寒がりの猫たちは大丈夫だろうか。不安でいっぱいだが、選択肢も時間もない。
家に戻ってきたのは13時。正直まだ荷作りは何もしていない。スーツケースに適当に洋服などを放り込み、タクシーに飛び乗った。その10分の間に、「俺のロゲイン(ハゲ薬)のスプレーどこ?」「スプレーなんて知らない、見たことない」「あ、スプレーじゃなくてムース」とか、「香水を包む小さいタオルない?」とかトムが言うので、そんなもの持っていかなくていいじゃん!と軽くキレた。ちなみにトムはランニングシューズもスーツケースに入れていました。
タクシーに乗ってひと安心。ふと自分の格好を見たら、ボーダーの長袖カットソーにジーンズにスニーカー、もちろんノーアクセ。近所のスーパーに行く時でももっと小綺麗な格好してるのに、これで海外に行くとは。
無事飛行機に乗り込んだけれど、なぜか飛行機がまったく動かない。パイロットが来ていないという機内アナウンス。結局2時間遅れで出発した。ロンドンでの乗り継ぎ時間には余裕があるはずだったのに、かなり難しくなった。離陸前にトムが旅行代理店の人やJALのロンドン支店の人とメールのやり取りをし、ヒースロー空港のスタッフにも連絡を入れておいてくれると言う。この乗り継ぎ便を逃すと翌日の朝まで日本行きの便はないのだ。それもJALは予約がいっぱいでBAしかないらしい(BAには乗りたくない!)
飛行機を降りたら紫色の制服を着ているスタッフがいて助けてくれる、とのことだったがそんな人はいない。仕方ないのでトムと2人でひたすら走る。connectionという看板を頼りに、まずはバス乗り場まで走った。ターミナル5からターミナル3の移動はバスで10分。バスを降りてからもものすごく遠い。たぶんターミナルの端から端まで走ったと思う。途中のJALの乗り継ぎカウンターにいた外国人女性スタッフにゲートは1番だと教えられたが、無線でゲートのスタッフと連絡を取った彼女が「もう遅いみたい。ドアクローズすると言ってるわ」と言う。トムが「母が危篤なんです!」と叫ぶと表情が変わった彼女がまた無線に何かを話しかけた。そんな彼女を無視して、さらに走る走る。トムの機内持ち込みの荷物は10キロ以上あるバッグとこれまたけっこう重い大きめのガーメントバッグ。私は小さなハンドバッグ1つだったので、トムのガーメントバッグを持ってあげた。もう息が苦しい、走れない、と思った時にやっと1番ゲートが見えてきた。そしてこちらに向かってゴルフの乗用カートみたいな車が走ってきた。無言でそれに飛び乗り、ゲート前で飛び降りた。間に合ったっぽい。普段走っているのが役に立つ場面というのは意外と多いものだ。正直、走っている人でなければもっと若い人でも乗り遅れたと思う。搭乗券を受け取って飛行機に向かったが、後ろから「申し訳ありませんが、荷物は間に合いませんでした」と叫ばれた。
しゃーない、しゃーない。たぶん無理だと思ってたよ。人間を乗せてもらえただけでも十分有り難い。機内持ち込みのハンドバックの中身は、パスポートと財布と簡単な化粧品とスマホのみ。まさに、近所に買い物に行くのと変わらない。
機内では食事を1回パスするほど爆睡した。飛行機はちゃんと定刻に着き、乗り継ぎのある人に迷惑を掛けなかったことに安堵した。
羽田からトム実家の近くの病院に直行(けっこう遠い)。病院にはトム兄一家とトム妹一家、トム母の弟夫婦が集まって私たちを待っていた。人工心肺のおかげでなんとか命を繋いでいたトム母だが、私たちの到着を待って人工心肺の装置を外すことになっていた。皆でトム母を見送った。
私がトム母に会ったのは、3月の赴任時に羽田に見送りに来てくれたのが最後。トムは先月の日本出張の時の週末に実家に泊まり、一緒に浅草や日本橋に行ってたくさんお喋りしたらしい。あまり苦しむことなかった母はとても幸せな人だとトムは言う。3月に一緒に旅行もできたし、悔いはない、と。たしかにトムはとても親孝行で、マメに連絡するわけではないけれど、たまに会えば「母さんは世界一美人だな」と言い(私にはtomoちゃんは世界一美人だと言う)、母の話をよく聞いてあげ、買い物に連れて行ってあげていた。トム母はトム兄一家と一緒に暮らしていたので、面倒見の良い嫁や孫たちにも囲まれ、なかなか幸せな晩年を過ごしたのではなかろうか。今頃、大好きなお父さん(10年前に他界)に再会できているかな。
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トムのお母様亡くなったのですね。心からお悔やみを申し上げます。トムの自慢のきれいなお母様だったのですね。淡々とした記述にともちゃんの哀しみを却って感じました。お2人ともお力落としのないように。
Posted by hiroshi at 2016.07.30 00:09 | 編集
>Hさん
わざわざコメントをありがとうございます。
実際美人かどうかはともかく(笑)、トムは母のことが大好きでした。バタバタのうちに通夜と葬儀が終わり、ゆっくり悲しむ時間もなかったし、ずっと離れて暮らしているので、元の生活に戻ってしまうとすべてが夢のようで実感が湧かないのですが、折に触れ母のことを思い出しじんわりと悲しみが湧き上がって来る時が来るのでしょう。
母の意識があるうちにビデオメッセージを送り、「母さん、仕事頑張るから!」と言っていたとおり、戻ってきてすぐまたアメリカに行きました。
わざわざコメントをありがとうございます。
実際美人かどうかはともかく(笑)、トムは母のことが大好きでした。バタバタのうちに通夜と葬儀が終わり、ゆっくり悲しむ時間もなかったし、ずっと離れて暮らしているので、元の生活に戻ってしまうとすべてが夢のようで実感が湧かないのですが、折に触れ母のことを思い出しじんわりと悲しみが湧き上がって来る時が来るのでしょう。
母の意識があるうちにビデオメッセージを送り、「母さん、仕事頑張るから!」と言っていたとおり、戻ってきてすぐまたアメリカに行きました。
Posted by tomo at 2016.07.30 01:11 | 編集
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