2013.01.31

その後のたまちゃん

たまちゃんは、最初の3年が多頭飼いであまりかまってもらえず、レスキューされたからの2年も、ほとんど人が接することなく生活していたので、ほとんど人馴れしていない。元の飼い主さんいわく、1度も爪を切ったことがないとのことなので、お風呂も入ったことがないだろう。

ソファの下かドーム型の猫ベッドに入り込んで、普段はまったく出て来ない。夜私たちがベッドに入ると、トイレ、ごはん、爪研ぎを一気に済ませる。最初の1週間は、夜になると窓の近くに行き、「帰りたいよー」と、ニャーニャー泣き叫んでいた。それが毎日朝まで続いたので参ったけど、1週間過ぎるとあきらめたのか、まったく鳴かなくなった。

怖がりだけど攻撃性はまったくないので、2日目に爪だけは切らせてもらった。とても大人しい猫なので、抱こうと思えば問題なく抱くことができる。

自分からは出てこないけど、猫ベッドで寝ているたまちゃんを撫でると、ゴロゴロ喉を鳴らし、お腹を出すようになった。毎日優しく話しかけながら、お腹を撫で続けたら、一昨日からたまーに姿を現すようになった。

たまちゃんは、私たちがベッドに入ったらすぐ、激しく活動を開始する。電気がついていようと、2人でしゃべっていようと関係ないらしい。ベッドルームの窓辺に置いてあるご飯をガツガツ食べる姿を見ながら、たまちゃんの背中のブチはあんな大きさだったんだと改めて気付いたりする。

たまちゃんはかなりポッチャリしていて、高い所から飛び降りるとボテッと大きな音がする。手脚も太くて短く、なんだか動きも緩慢だ。毛は柔らかくフワフワ。

本当は早くシャンプーもしたいし、病院にも連れて行きたい。お金がなかったという理由で、去年からワクチンを打ってもらっていないし、エイズと白血病の証明書は2年以上前の日付。たまちゃんがずっといた猫部屋には、エイズキャリアの猫ちゃんも一緒に暮らしていたので、検査以降に感染した可能性だってある。でももう少し家猫生活に慣れるまでは我慢しよう。

ドアを開けっ放しだと寒いので、早くペットドアも覚えて欲しい。でもそれはまだまだ先でいい。たまちゃんは、うめこが使っていたフード付きトイレ(ニャンとも清潔トイレ)で上手に用を足すし、うちにある4つの爪研ぎやキャットタワーを全部使ってくれるし、まったくいたずらもしない。十分にいい子なのだ。

たまちゃんは白地に黒ブチの猫に見えるけど(私もそう思っていた)、本当は三毛猫なのです。近くで見ると、黒ブチ部分やしっぽは薄い茶色とのしましまでキジトラ風だし、しっぽの裏側の根元からお尻周りは、無地の赤茶色!初めてそれに気付いたのは、うちに来てから1週間後で、三毛猫好きの私は大喜び。

たまちゃんとの距離はまだまだ遠いけど、焦らずにのんびりと仲良くなれたらいいなーと思う。そんなこんなで、なかなか写真さえ撮れないたまちゃんですが、これからどうぞよろしくお願いいたします!
2013.01.30

わが家のニューフェイス

実はうちには既に新しい猫がいる。

うめこが死んで、また猫を飼おうと思った。有名な里親募集掲示板「いつでも里親募集中」を見ていると、家族を待っている猫がいくらでもいる。私もいい年になってきたので、一生のうちに飼える猫は、もうあと1匹か2匹だ。もともとは福島の猫を引き取るつもりだったけど、今は東京のレスキュー団体も被災地の猫を引き受けているし、色々な生い立ちや事情の猫がいるので、猫の過去のことは気にせず、自分の気に入った猫を選ぶことにした。

お見合いの申し込みをしたが、すでに申し込みが入っている、というのが2回続き(猫は思った以上に回転が早い)、1度は里親会にも参加したけど、ピンと来なかった。

そんな頃、少し前に見た、お餅みたいな猫のことを思い出した。もう4〜5歳の大人の猫で、とても寂しげな瞳をしている。人馴れしていないせいか、レスキューされてから2年以上引き取り手がない猫だ。

お見合い申し込みのメールを送り、アンケートを送り、お見合いの日が決まった。今は里親も選ばれる時代。一人暮らしはダメ、同棲中の人はダメ、60歳以上の世帯はダメなど、基準が厳しい。それだけ、最後まで責任を持って飼わないいい加減な飼い主が多いということだろう。

お見合いの日は1月20日。そう、あんこは亡くなった日だ。相模原まで車で会いに行った。お見合いの後、保護主が新しい飼い主の家に直接お届けというのが原則なのだが(飼育環境などを確認するため)、今回は保護主の事情で、もし気に入ったらそのまま連れて帰って欲しいとのこと。

私が気に入った猫がレスキューされた事情とは、一人暮らしで25匹の猫を飼っていた人が入院し、面倒をみられなくなったというもの。レスキュー団体の人が里親探しをし、残った9匹の猫は、ビルの1室を猫部屋として借り、毎日世話をしに通っているということだった。今は、レスキュー団体は基本的に手を引き、退院した元の飼い主とそのお母様が世話をしている(家ではもう飼えないらしい)。

足を踏み入れた猫部屋は、ある意味猫パラダイスだった。30畳ほどの広い部屋に、たくさんのトイレ、十分なごはん、キャットタワーにこたつが2台。ケージはたくさんあるが、ドアが常に開いていて出入りは自由。人間は1日1回世話に来るだけなので人間好きな猫は寂しいかもしれないが、人間が苦手な猫には何の不自由もないだろう。

正直私は戸惑ったが、猫たちも一生ここにいるわけにはいかないだろう。元の飼い主であるという女性は、猫好きのとてもいい人であった。25匹の多頭飼いというのは大変非常識なことではあるが、悪い人ではないのだ。私が気に入った猫の生い立ちを聞くと、彼女が働いていたスーパーの魚売り場でおこぼれをもらっていた野良猫が産んだ子だという。生後半年くらいで家に連れて帰り、避妊手術をさせたとのこと。

その猫はもうケージに入れられて準備をされ、お見合いとはいえ有無を言わせぬ雰囲気だったので、その場で譲渡契約書を書き、レスキュー団体が入って以降にかかったワクチン代などの実費(10500円)を支払い、猫を連れて帰った。

その猫の名前はたまちゃんと言う。元の飼い主さんが飼い始めてから5年近くその名前だったので、もうそのままたまちゃんでいくことにした。

この写真は、里親募集の時に出ていた写真。

たまちゃん1たまちゃん2

2013.01.27

第33回館山若潮マラソン完走記 その2

人数が少ないのでスタート直後は快適。ついペースが上がってしまうほどだったが、あっという間に10キロの部の後ろのほうの人たちに追い付き、走りづらくなった。コースが別れる4キロちょっとの所まで我慢したら、またぐっと人数が少なくなり楽になった。道路の端を1列で静かに走る。前半も小刻みにアップダウンがあるけれど、青い海と富士山を楽しみながら、自分のペースを維持した。なんだか、ひとりで走っている普段の練習のよう。いつものレースなら、何も考えなくてもハーフくらいまではレースの高揚感とアドレナリンが引っ張って行ってくれるのだけど、今日はそれがないぶんきつく感じる。

15キロを過ぎたころだろうか、急に歩いているランナーが増えてきた。どうやら定刻の10時にスタートした選手の後ろのほうの人たちに追い付いたようだ。もうそこからは延々と歩いている人やゆっくりペースの人を抜かすのみ。同じくらいのペースの人が全然いない。誰かに引っ張って行ってもらいたいのに、それが叶わない。ハーフを過ぎて山側に向かったところで、5時間半のペースメーカーを抜かした。それより先はこれでもかと上り坂が続く。去年はたしか25キロくらいから少し歩いてしまったが、今年は決して歩かなかった。周りはほとんどの人が歩いていたので、本当に抜かしまくり。たいしたペースではないのに。

30キロ辺りできつい上り坂が終わる。でももうお尻と脚がパンパンだった。その後の急な下り、海沿いに戻ってからの10キロを走る脚は残っていないように思えたけど、とにかく無我夢中で走った。交通規制が終わった道路の細い路肩は、歩いているランナーの列ができていて抜かすのが大変だったけど、車に気を付けながらガンガン抜かした。スタート直後に見かけた、ソフトバンクホークスのピンクのユニフォームを着た女子、ヤクルトの館山のTシャツを着たお兄さん、阪神のユニフォームを着たおじさんも全部抜かした。野球のユニフォームを着ている人には親近感を覚えるけど、だからこそ負けるわけにはいかないのだよ。

あと10キロの地点で3時間を少し切っていたので、残りをキロ6分ペースでいけば4時間を切れることに気付き、動かない脚を必死に動かした。あと数百メートルのところで、トムがピーチネクターを持って待っていてくれたけど、あまりにもサブ4ギリギリだったので、受け取らずにダッシュ。

「ジャイアンツ頑張れー」「ジャイアンツ、ナイスラン!」とたくさんの人に声を掛けてもらい、気持ち良くゴール。やったー!3時間59分9秒!館山でも4時間切れた〜っ!!

数分後、気付きました。800m短いんだった…。

私が走っている間にトムが行きのJRの特急券の払い戻しや帰りの便の変更をしておいてくれたので、帰りはスムーズ。

このコース、去年の記憶以上にきつかった。来年も走って、今度こそ正しくサブ4を達成したいという気持ちと、もういいかな、という気持ちが両方ある。でも来年行くとしたら、車で行って前泊しよう。


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レースのラップ

0〜5K 27:00
〜10K 27:28
〜15K 28:04
〜20K 27:33
〜25K 28:16
〜30K 29:44
〜35K 30:49
〜40K 30:12
〜ゴール 10:03

約41.3キロ / 3時間59分9秒
2013.01.27

第33回館山若潮マラソン完走記 その1

行きの交通手段は、直行のツアーバス、自家用車と散々迷った末、去年と同様、始発の両国から館山若潮マラソン号を利用。だって、1番確実だもんね。しかし両国の次の錦糸町駅で電車が止まったまま、なかなか動かない。車内放送ではポイント故障だと言っていたと思う。ま、そのうち動くでしょ、と思っているうちに40分近く経過。焦り始めた頃、「各駅停車で千葉駅まで行ってそこから高速バスに乗って下さい」とアナウンスが流れた。みなで各駅停車の電車に移動するも、高速バスの時刻表を調べると、館山行きは1時間に1本程度しかなく、次のバスに乗ってもレースのスタート時刻には間に合わない。

JR東日本は館山若潮マラソンのスポンサーの1つだし、なんらかの救済措置があるのではないかと期待しつつも、何もわからないまま千葉駅で電車を降り、改札に向かってダッシュ。だってそのバスに乗るのだって、人数が限られているのだ。しかし改札の手前で、「まもなく発車する君津行きの電車を、今日に限り館山まで接続します」という放送が流れたので、乗れるかどうかわからない高速バスよりマシだと思い、今度はその各駅停車の電車の発車ホームまでダッシュ。ギリギリ乗り込むことができた。いったい何時に館山に着くのか調べたら、高速バスと同じくらい、10時少し前に館山駅着。駅からはシャトルバスに10分ほど乗って会場まで行くので、10時スタートには絶対間に合わない。

レースを走れるかどうかもわからないまま、やっと館山駅に到着。特急券の払い戻しは後で大丈夫だとJRの係員が言うのでそのまま改札を出たら、マラソン大会のボランティアスタッフの方がたくさんいて、「JR遅延組は10:50スタートの10キロレースの後に、一斉にスタートできます」というようなビラを配っていた。とりあえず走れるということにひと安心。でもよく読むと、コースの短い折り返し部分をはしょるので、少し距離が短くなると書いてある(実際800mほど短かった)。うーん、頑張っても公式記録にはならないんだなぁ。走れる喜びの一方で、ちょっと寂しい気持ちになった。しかし、交通規制の関係で反対する地元警察を市長自らが説得して遅いスタートでのレースが可能になったとのことで、大会関係者の方々や地元の皆様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

001 (400x300)スタート時間までそれほど余裕はなかったので、急いで受付を済ませ、ゼッケンやチップを取り付けた。ゼッケンにはJR遅延組の目印としてガムテープが貼られた。

JR遅延組は数百人はいただろうか。アナウンスで何度も「フルマラソン部の一部の人」と言われ、苦笑い。10キロレースがスタートした3分後くらいに、市長による号砲で無事スタートを切った。なんだかいつものレースに比べると全然緊張感がない。

スタート地点にはたくさんの観客がいて、「ジャイアンツ、頑張れー!」と言ってもらえた。前から見ただけで「テラウチ〜!!」と叫んでくれたチビッコ、キミはかなりのジャイアンツファンだね。

気温は低かったけど、風がなく日差しがポカポカだったせいで、ニットのジャビット帽は断念。黒のサンバイザーにしました。朝寒かったので、タイツもアンダーの長袖も厚手のものに変更したことをちょっぴり後悔。
2013.01.26

館山若潮マラソンのウェア

冗談ではなく、この格好で走ります(^_^)v ずっと前から決めていました。

パンツはいつものような超短いものではなく、少し長めの丈のボーイズライクなものにします。このほうが野球のユニフォームには合うのです。ジャビットのニット帽は見た目よりずっと被り心地が良く、耳も隠れて暖かいのですよ。

トムは明日は棄権することになりました。年末からのひどい四十肩に続き、年明けすぐにギックリ腰をやってしばらく走れず、久しぶりに走ってみたら今度は足首が痛いとのこと。なんだかじーさんのようです。明日は私の付き人兼カメラマンとして一緒に行ってくれるらしいです。

あんこが寝たきりになってから、外出はほとんど控えていたけれど、走るのだけはやめませんでした。

でも、館山に行く時はあんこをどうしよう、病院に預けてもあまり意味がないしなぁ、当日具合が悪そうだったらレースはあきらめないとね、とずーっと悩んでいました。あんこが先週末に旅立ったのは、明日私が何も気にせず思い切り走れるようにという、最後のプレゼントだと思っています。

去年の同じレースは、後半大失速して情けない結果に終わってしまったのだけど、今年は美しいラップで走りたいと思います。自己ベストは狙っておらず、4時間前後でゴールするのが目標です。こんな格好だけど、別にファンランというわけではなく、ガチで頑張るからね!
2013.01.24

犬と暮らす豊かな時間

あんこのお骨が戻ってきました。これでうちには、マルコ、たまこ、うめこ、あんこ、と4つの骨壺があります。ちょっとした納骨場状態です。いつか私が死んだ時に一緒に納めてもらう(お墓じゃなくてもいい)という思いは、現実のものになるのでしょうか。

もう犬を飼うつもりはないので、寄付する予定のフードなど消耗品や形見として取っておく物以外、犬関係のものを全部処分した。犬のベッドがなくなると、リビングルームはずいぶん広く感じる。

「介護をよく頑張ったね」と皆様に言っていただけて嬉しいのだけれど、私が振り返ってみて大変だったと思うのはやはり、毎日1日2回の散歩と、家を留守にする時に時間を気にすること(犬が元気な時も)。

排泄を外でしかしない犬を飼っている方には、理解していただけるであろう。毎日天気予報を気にし、大雨の日でも、自分の体調が悪くても、とにかく外に連れ出さないといけない。お出かけの時の最長時間は約12時間。

犬と一緒に生活している時はそれが当たり前なので苦痛を感じることもないのだけど、15年間振り返ってみると、「あぁ私、けっこう頑張ってきたのだな〜」と思える。もちろん、犬と生活することの豊かさはその大変さを軽く超えるから、当たり前に頑張れるのだ。

こうして私は15年間あんこの基本的な世話をしてきたのだけど、その代わりあんこはいつも私と一緒にいてくれた。私がこの15年間を振り返る時、その風景にはいつもあんこの姿がある。心のどこかで常にあんこのことを気にしていた私がいる。

特にあんこが寝たきりになってからの3ヶ月間、私を支えてくれたのは、まさにあんこそのものだった。あんこの姿に癒され、励まされ、豊かな時間を与えてもらった。

私はもう飼わないけれど、本当に犬との暮らしはいいですよ、みなさま。


あんこ 富里あんこ ガムかじり


あんこ サンディエゴの海あんこ 箱乗り


あんこ カフェにてあんこ うんち中


あんこと丸窓あんこ カーディフの海にて


あんこ プリンストンあんこ 雪


あんこ 世田谷あんこ ソファ


あんこ 人間用ベッドであんこ 寝たきり

2013.01.21

あんちゃん、またねっ。

1月20日の夜7時少し前に、あんこは息を引き取りました。

朝からなんとなく、いつもより生気がなく、シリンジで水を飲ませても、やっと飲み込む感じ。あぁ、ついに来たか。水を飲めなくなったらもう長くない。a/d缶少量をなんとか飲み込ませることはできた。

お昼にどうしても出掛けないといけない用事があったので心配だったけど、「あんちゃん、絶対待っててね。約束だよ」と言い残し、後ろ髪を惹かれる思いで家を出た。

帰宅後、あんこを見ると、泡が口の縁に少しついている。水を飲ませようとしたけど、ついに飲み込んでくれなくなった。口は開けていないけど、お腹を上下させて深くて長い呼吸をしている。その状態が1時間以上続いただろうか。そのうち、呼吸とともにゴボゴボという音がするようになった。泡立った茶色っぽいネバネバしたヨダレも出て来た。

あんこに体内で何が起きているのかわからないけど、間違いなく終わりが近付いている。トムと2人で、あんこの横に座り、あんこを撫でながら、あんこに話しかけたり、あんこの思い出を語り合ったり、泣いたり、焦ったりを繰り返していた。

あんこの呼吸が浅く早くなってきた。そしてなぜかいつもは半開きの目をパチっと開けている。手で閉じようとしても、カッと見開いたまま。あんこのクリクリお目々を見たのは久しぶりだ。可愛いなーと思って写真を撮った。

その後、5分か10分経った頃だろうか。あんこの呼吸が突然止まった。それと前後してオシッコが少し出てきた。あぁ、死んじゃった、と思ったら、突然バフっと一瞬息を吐く、というのを5回くらい繰り返した。少しずつあんこの体が冷たくなった。ウンチは出なかったけど、口から泡状の茶色っぽい液体が出続け、結局完全に止まったのは翌日の朝ではなかろうか。同じものが鼻の穴からもずっと滲み出ていた。老衰といっても理由はちゃんとあるのだろう。あんこも場合、この液体と呼吸が少し苦しそうだったのが関係しているような気がする。

あんこの体をきれいに拭き(お尻周りは毎日洗っていたから十分きれいだったけど)、死後硬直が始まる前に、用意してあったAmazonの段ボール箱に寝かせてあげた。あんこは骨格標本みたいにガリガリだったけど、箱に入れるために少し体を丸めたら、お尻のガリガリっぷりが目立たなくなって、いつも以上に可愛くなった。本当にきれいで可愛くて、眠っているようだった。

翌日の今日、トムが半休を取ってくれて、うめこと同じ深大寺動物霊園に連れて行った。「勝手知ったる」感がなんだか悲しい。

あんこがなんとなく部屋をウロウロと徘徊するようになったのが4月、クルクルと激しく右回りをするようになったのが9月(ウンチコントロールが甘くなり、ウンP踏み踏み祭りを激しく開催したのもこの頃)、1ヶ月くらい後には自分で起き上がれなくなり、10月半ばには完全に寝たきりになった。1度は落ちた食欲も12月には復活し、人間用の肉料理も満喫したけれど、年が明けてから食欲がまた落ちた。オシッコの頻度が徐々に増え、夜中にいったい何度起きただろうか。ずっと順調に強制排便できていたけれど、最後の3日間は下痢だった。

老犬介護のフルコースを体験させてもらったけれど、それぞれの過程はそれほど長くなく、あっという間に次にステージに進み、結局寝たきりだったのも3ヶ月だけ。私に悔いなく介護をさせてくれ、それでいてこれ以上はもう耐えられないー!と思うほどではない絶妙の長さ。最期の時はトムと私の在宅時。最後の最後に、あんこはこれ以上ないほどの良い子だった。

思う存分あんこも世話をさせてもらって、本当に楽しかったし、幸せだった。キレイごとでもやせ我慢でもなく、心からそう思う。

15歳というのは、老衰というには少し早いとも思うけれど、痴呆で自分の体をコントロールできない中、あんこは最後まで本当によく頑張った。動物愛護センターから私に引き取られ、アメリカに渡ったり、また日本に戻ってきたり、ボケちゃったり寝たきりになったりしたけれど、そんなに悪い一生じゃなかったよね、あんちゃん。

15年間一緒に過ごしたあんこがそばにいないということに、まだまだ慣れそうにないし、涙も出てきちゃうけれど、いつか再会するその日まで、あんちゃん、またね。


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2013.01.18

消えゆく光

fc2_2013-01-18_20-30-29-883.jpg12月中はびっくりくらい食欲があったあんこ。1日3食、カリカリをふやかしたものにさえがっついていた。

年が明けてから、少しずつ食欲が落ちてきて、この1週間はa/d缶をシリンジで無理矢理口に入れるのがやっと。口に入れてもなかなか飲み込んでくれない。嫌がるあんこに無理矢理食べさせるのは、とてもつらいものだ。

もうずっと前から、目を少し開けているか瞑っているかの違いくらいでまったく動かず、生きているのか心配になることがよくあったが、今では、いつのまにか息を引き取っていても気付かないかもしれない。しょっちゅう、あんこが呼吸をしているか確認する。

少しずつ、あんこの命の灯火が小さくなっていく。あんこの顔は今まで以上に無垢で、何も映っていない瞳は澄んでいる。

あんこはもう十分頑張った。あんこがまだ若い頃、ちゃんと言う事を聞けた時はいつも、「あんちゃん、よ〜し、よ〜し」と何度も褒めてあげた。あの頃のように褒めてあげることしか、今の私にはできない。
2013.01.16

目やにと鼻クソ

私は夜、あんこの後ろ頭に顔をくっつけて寝ている。ある日、ふと、どこかが臭いような気がした。何かが腐ったような臭い。耳かと思ったけど違う。クンクンとくまなくあんこの頭周りを匂ってみたら、なんと目が臭い!!

寝たきりになってからずっと左目の目やにがひどく、最近ではネバネバした目やにが出る。「大変〜!あんこの目が腐ってきた〜!」と思わず叫ぶ私。

次の日、急いで 病院に行った。診察した先生いわく、「年を取ると目が落ち込んで、目の周りの毛が目に入るようになるので、どうしても目やにが出やすくなるのです。」

瞼の裏側にそんな目やにが溜まって、臭くなっていたと思われる。生理食塩水で目を洗う方法を教わって、それ以降、毎日お手入れしている。今はもう臭くなくなったよ。

病院に行く時に、初めてダウンベストを着た。まだこんなに痩せていなかった時に買ったのでブカブカだけど、ピンクが似合っていて可愛いでしょう?本当はお散歩の時に着たかったんだけど…。

普段はオムツを付けていないけど、病院に行く時と、夜私たちのベッドで寝る時だけ念のため付けています。

臭い問題がクリアになった途端、あんこがスースーと大きな寝息を立てるようになった。特別苦しそうに見えないけれど、すごく大きな音がする。どこか調子が悪いのか心配していたら、トムに「あんこ、鼻くそが詰まってるんじゃない?」と言われた。

あんこは寝たきりになって、鼻クソが溜まるようになったので、時々綿棒で取っている。黒い乾燥した鼻クソだ。いつも乾燥した部屋で寝ているせいだろうか。元気な時には自然に排出されていたのかな?

急いで鼻を覗いたら、ネバネバした鼻クソで鼻の穴がふさがっている。綿棒ではうまく取れず、鼻クソを中に押し込んでしまったようだったので、生理食塩水を穴から入れたら、クシャミで黄緑色のネバネバしたものが出てきた。ちょうど人間が風邪をひいた時の鼻汁のようだ。その後一晩かけて、けっこうな量の鼻クソが排出され、あんこの寝息は静かになった。これからはマメにチェックしよう。

それにしても、鼻クソってもっと上品な言い方がないものか。何度も連発して、さすがに恥ずかしくなりました。
2013.01.07

その後のあれこれ。

みなさまからコメントやメールで、うめこは可愛くていい猫だった、幸せな一生だったと言っていただき、私の心はずいぶん癒されました。本当にありがとうございます。

大晦日の夜にうめこが亡くなって、ふと、お正月に火葬してくれる所はあるのだろうか、と心配になった。真冬なので大丈夫だろうけど、亡骸を見ているとつらくてたまらない。

動物霊園についてはいくつかチェックしていた。11月頃、あんこがいつ死んでもおかしくないように思える時があったので、その時に調べておいたのだ。ちなみにあんこを運ぶための段ボール箱も既に用意してある(あんこ、ごめん)。同じ頃、ちょうどいい大きさの箱がAmazonから届いたのだった。

ブックマークしていた動物霊園のサイトを見たら、半分くらいはお正月でも火入れを行っているようだった。宗教色を感じないのがいいと思っていた会社に一度予約を入れたが、ちょっと考え直してキャンセルした。そこは、マスコミにも紹介されたことのあるイマドキ感満載の移動火葬車を利用する葬儀屋さんだったのだけど、やっぱりちゃんと施設を持っている所のほうがいいような気がしてきた。

結局選んだのは、老舗の深大寺動物霊園。電話対応もまったく営業の香りがせず、安心感がある。立ち会ってお骨上げすることもできるのだが、それはやめて、個別一任火葬にした。

引き取りやお届けも無料なのだが、お正月休みでトムもいるし、車も買ったことだし、自分たちでうめこを連れて行くことにした。

もう1つの心配事はお花が手に入るかどうか。うちの近くには5〜6軒花屋さんがあるけれど、個人経営なので絶対休みだろう。いつも利用しているスーパーの端っこに、いくらか切り花が売っているが、そのスーパーも2日からの営業。そういえば最近は大手スーパーが元旦から営業しているのだったなーと思って調べたら、車で10分ほどのイトーヨーカ堂がキーテナントのショッピングセンターが営業している!今までこういう大手スーパーとはまったく縁がなかったけど、車をあるとこういう店に行けるようになるのだね。元旦なのでお花は少なかったけれど、無事入手できてひと安心。

2日の午前中に動物霊園に向かった。隣りの深大寺に初詣に来たついでに、ペットのお墓にお参りする人が多いのか、動物霊園はびっくりするほどの賑わい。深大寺の参道の入口から霊園への道は、とっても狭いのに一方通行ではないというドライバー泣かせの道だった。小さい車を買って良かったね、とトムとしみじみ。

受付を済ませ待合室で待っていると、係りの人が迎えに来てくれた。

火葬場の横にきれいな祭壇が用意されていて気持ち良かった。持参したバスタオルの上にうめこを横たわらせ、お花とうめこの好物の缶詰を置いた。うめこの亡骸を見た瞬間、係りの2人の男性が揃って「立派な猫ちゃんですねぇ」と声を上げた。やはりうめこは日本の猫に比べたら大きいのか。闘病生活が短かったので、それほどやつれておらず、毛もツヤツヤだものね。トムと一緒にお線香を上げて、うめこと最後のさよならをした。結局仏式になったけど、なんだかんだ言って安心感があるものだ。

fc2_2013-01-08_16-34-57-469.jpgその2日後、うめこは小さくなってうちに帰ってきた。陶器の骨壺はともかく、それを包んでいるものが、人間用のと同じようないかにも仏様っぽいものだったので、うめこに似合いそうな風呂敷を買ってきてそれに包んだ。


最後にうめこの写真を見てやって下さい。サンディエゴのアニマルシェルターにいたうめこは、あっという間にふくふくした可愛い猫になりました。

1番下の右側の写真はnoirさんが撮ってくれたもので、トムと私の大のお気に入りです。ずっと前から携帯の待ち受けにしているし、プリントしたものをフレームに入れて飾ってあります。

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2013.01.04

大好きなうめこ。

毎年お正月には、犬猫と一緒に写真を撮って、このブログでも新年のご挨拶をするのですが、今年はそれができませんでした。

大晦日の夜、あと2時間で年が明けるという頃、うめこは私を置いて、あの世に行ってしまいました。

30日の診察と投薬の後もうめこの体調は改善せず、翌日31日の朝に先生とお話しし、お休みにもかかわらず再度うめこを診てもらうことになった。

うめこは呼吸はあいかわらず苦しげで、口を開いて全身で呼吸していたけれど、普通に歩いたりしていてぐったりという感じではなかった。いつもの愛らしいうめこだった。


病院はもうお正月休みのはずなのに、先生と看護士さんが待っていてくれた。あらためてレントゲンを撮ると、喉の奥に大きな腫れがある。過去2回のレントゲンでは、気管から内蔵にかけてしか写っていなかったので、この大きな腫れはわからなかったのだ。

とりあえずその腫れを検査するのに、麻酔をしないといけないが、うめこの今の呼吸状態や体力だと、麻酔から覚めた時に自力で呼吸できるところまで復活できない可能性があるという。でも、この大きな腫れは放っておいても小さくなるわけではないし、やはり検査をして切除するなりの処置をしないとうめこの呼吸は苦しくなるばかりだ。

私とトムは麻酔下での検査をお願いすることにした。

夕方早い時間に、電話が鳴った。麻酔から覚めかけた状態で、管を通してなんとか呼吸できている状態だという。すぐ病院に会いに行ったら、そこには舌をダラリ垂らし、細い管を通して必死に呼吸するうめこがいた。目は開いているけれど、意識はほとんどないようだ。一生懸命声を掛け、体を撫でてあげた。喉の奥にできていた腫瘍らしきものは、生検の結果、リンパ腫だということがわかった。この場所にリンパ腫ができるのは珍しく、以前他の猫のケースで腫瘍を切除した時は、取って出来た穴に食べ物などがすぐ詰まってしまい、結局数日しかもたなかったらしい。リンパ腫は転移も早いだろうし、切除してもリスクがあるなら、抗がん剤治療のほうがいいだろう。副作用も気になるけど、最後は目一杯甘えさせて、美味しいものも食べさせてあげたい、そう思った。

いったん帰宅したあと1時間後くらいに連絡がきて、うめこがなんとか自力で呼吸できるようになったとのこと。腫瘍を少しでも早く小さくするため、早速抗がん剤を投与したという先生の声も少し明るい。

よしっ、とりあえずひと山越えたね、と安心し、紅白歌合戦を見始めた。すっかり油断していた頃、また電話が鳴った。もう連絡は来ないと思っていたので一気に緊張が走る。うめこが突然緑色の液体を吐いたあと、そのまま息を引き取ったという、先生の暗い声。

うめこは生きたまま家に帰ってくることができなかった。私は泣きながらうめこに謝ることしかできなかった。まだ温かくて体がふにゃふにゃに柔らかいうめこをペットカートに乗せて、家に帰った。先生は泣きながら、私たちの姿が見えなくなるまで寒空の下、病院の外に立っていた。

悔やんだらキリがない。そういえば、夏頃からうめこのゴロゴロ音が変わったのは、何か関係あるのかもしれない。2週間前咳が出始めて病院に行った時のレントゲン写真に喉が写っていたら、その頃はまだ呼吸は普通で食欲もあったので、麻酔にも耐えられたかもしれない。ステロイドと抗生物質を飲み始めた時に、「先生、咳が止まってなんとなく調子が良くなったような気がします」なんて報告をしなければ、気管支炎ではなくて癌を疑ったかもしれない。

でも、今さら何を言っても悔やんでも仕方ないのです。私たちは先生を信じてお任せしたのだから、先生にも恨みはありません。むしろ、大晦日の夜に、休日料金も取らずに、全力を尽くして下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

悔やむべくは、この半年間あんこにかかりきりで、うめこをあまり甘えさせてあげられなかったこと。特に最後の2ヶ月は、うめこの最後の砦だった私たちのベッドまであんこに奪われて、さぞかし寂しい思いをしたことだろう。うめことはあと10年くらいは一緒にいられるから、もうちょっと我慢してね、あんこがいなくなったら、うーんと甘えさせてあげるからね、そんな気持ちだった。まさか、あんこより先にうめこが逝ってしまうとは。

うめこは最後まで手がかからないいい子だった。病院通いもたった2週間、それまでは下痢さえ1度もしたことのない、健康優良児。いつも穏やかで、おおらかで、人間のことを噛んだり引っ掻いたりすることもなかった。違う部屋で熟睡していても、私が呼べば2秒で飛んできたし、普段は鳴かないのに、名前を呼んだり話しかけたら、必ず「にゃ」と返事をしてくた。

私は本当に本当に、うめこが大好きだった。うめこもたぶん私のことが大好きだったと思う。うめこのような特別な猫にはもう出会えない。大事なうめこを失って、体の一部をもぎ取られたような喪失感と絶望感でいっぱい。まだ部屋にはうめこの気配があって、ことあるごとに、胸が痛み、息が苦しくなる。


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