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2007.01.12

昨日の午後、一昨年のマルコの時にもお願いしたペット霊園にたまこの亡骸を持って行った。ここで火葬してもらうのだ。死後硬直がゆるみ始めて体液が出てきたのか、少したまこの体は臭くなってきていたが、そのにおいさえ私には愛しかった。何度もたまこの体に顔をうずめたり、体を撫でたりして、最後のお別れをした。


フレンドリーではあるが事務的に必要な手続きをこなしていた霊園の男性は、たまこの入った箱を持ち上げてたまこを見た時に、一瞬にして目を赤く潤ませていた。1週間ほどでたまこは灰になって私のところに戻ってくる。


たまこがいなくなった部屋はなんだか広く感じる。たとえ動かなくなっても、たまこの体がそこにあるだけで安心できたのに。いつでもたまこの体を触ることができたし、話しかけることもできた。祭壇代わりのサイドボードの一角は、いただいたお花やお供えであふれているのに、体と一緒にたまこの魂もどこかに行ってしまったかのようだ。


たまこはいないのに、周りにはいつもどおりの日常がある。人と接していると、私も束の間、その日常生活に戻る。冗談を言ったり、笑ったりもできる。トムと一緒にいる時でさえ、もうほとんど泣くことはない。ブログの文章も冷静で淡々としているから、冷徹で強い人だと思われるかもしれない。でも私はそんな強い人間ではない。1人になった途端に、深い闇に心が吸い込まれ、たまこを失った孤独を感じる。たまこの最後の45分間が心によみがえり、たまこを苦しみから助けてあげられなかった無力な自分を責めたくなる。涙が次から次へとあふれてきて、叫びたくなるくらい悲しくなる。でも、こんな時は涙が枯れるまで、思い切り泣くのがいいのだと思う。たまこの写真を見て泣き、たまこの白い毛を見つけて泣き、自責の念で泣く。どんなに涙を流しても、そのうち時が経って、少しずつ心も穏やかになってくる。今までどんなに悲しい時もいつもそうだった。時間がちゃんと私を癒してくれた。


人前で泣かないtomoちゃんはかっこいい、とトムは言う。本来泣き虫の私、卒業式や送別会、たいして悲しくない映画でも、そこにいる誰よりも早く嗚咽が始める。当然病院でも人に迷惑をかけるほど大泣きすると思っていたようだ。でも本当は人前でも泣けたらもっと楽なのだろうな。仕方ない、人に甘えるのが下手なのだから。せめてお酒が飲めたらよかったのに。酔っ払って記憶を失くしたり、人にからんだり、甘えたり、そんなことができる私だったら、もっと楽になれるかもしれないのに。


私は泣き方も下手だ。女優みたいに、ポロリと涙だけがこぼれるのなら美しいのに、子供みたいに声を出してしゃくりあげる。激しくしゃくっているうちに呼吸がだんだん早くなってきて、過呼吸ぎみなる。そしてしまいには、過呼吸症候群の人みたいに、めまいがして、指先がしびれてくるのだ。大人の女らしく、美しく泣いてみたいけど、演技してるわけじゃないから無理だよね。


ひとりになったあんこあんこはたまこの死を動物の本能で自然に受け入れたようだ。今までと特に変わった様子はない。心もち寂しそうに見えるのは人間の先入観かな。


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この記事へのコメント
tomoさんのブログを読むたびにP.C.の前で泣いていました。
なんと声を掛けていいのか分からずに。
一度も会ったことはなかったがブログの中の写真を見るだけでも
たまこちゃんは本当にtomoさんと一緒にいられて幸せだったんだと分かります。たまこちゃんのように穏やかな顔をしている子は本当に幸せな生活を送っている子なんだと思います。
今は悲しみに暮れるだけでも、やっぱり時間が解決をしてくれるんですよね。
人間とは時に忘れることを嫌うけれど、忘れられることのできる人間だからこそ悲しみも癒えていくのではないですかね。
ただ今は泣きじゃくって、気のすむまで泣いてもいいんじゃないですか!?
Posted by miho at 2007.01.13 11:21 | 編集
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Posted by at 2007.01.13 17:20 | 編集
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Posted by at 2007.01.13 22:29 | 編集
今日久しぶりに、Tomoさんのブログを開いて、驚きました。
結局一度も会うことができなかったたまこちゃん。ブログでの幸せそうな写真を見ては、まだ、もう少しがんばってと思っていたのですが、とうとう逝ってしまったんですね。
人間よりも短命の動物との暮らし。その悲しい時は、必ずやってくるとわかっていても、本当に胸が引き裂かれるようにつらいことなんだと察します。Tomoさんのなかでたまこちゃんはずっと生き続けるだろうし、たまこちゃんも、出会いがそうであったように、きっと何年か後、生まれ変わって運命的にまたTomoさんの前に現れてくれるんじゃないかな。
悲しいときは涙をながして体のなかの悲しい成分を全部吹き飛ばしたほうがいいのです。リラックスも必要です。
是非うちにリフレ&落ち着くハーブティを飲みにいらっしゃいませんか?少しでもお役に立てればと思います。お気軽に遊びにいらしてくださいませ。
Posted by Cheena at 2007.01.14 04:56 | 編集
涙が出ます。(今1人なもので/笑)

どんな言葉をかけても、時間が戻る訳でも、たまこちゃんが還ってくる訳でもないので、どうしたらいいかわかりませんが、tomoさんはtomoさんなのだからどこかの誰かのように泣けなくてもいいのではないかしら?
こんな時くらい頑張らなくてもいいのではないかしら?
あたしはそう思います。
Posted by がら at 2007.01.14 20:24 | 編集
tomoさん、自分を責めないでください。それは、たまこちゃんは望んでないでしょうし、逆にたまこちゃんが心配してしまいますよ。きっと今は、苦しくないのですから。
それに、苦しい時にも一緒にいてくれて心強かっただろうし、最期の時も一緒にいてくれて幸せでしたでしょうね。
tomoさんは、冷静で淡々とと書かれていますが、愛と悲しみで溢れてますよ。きっと気持ちを抑えてるんだろうなあとおもっていました。
どうぞ、たまちゃんの為にたくさん泣いてあげてください。
Posted by うさを at 2007.01.14 23:43 | 編集
最後まで大好きな人と一緒に入れるのは幸せな事ですね。
tomoさんの腕の中で幸せを感じていたのではないでしょうか。動物ってこっちの愛情をしっかり受け止めて、しっかり返してくれる。tomoさんが幸せだったのならば、たまこちゃんも幸せだったでしょうね。
今頃虹の橋あたりで走り回ってるのかな?
11年前に逝ったうちのももんがも一緒に走って遊んでくれてるといいな(笑)。

悲しみは痛みを伴いますが、時間が解決してくれますよね。
tomoさんはお酒は飲めないけれど、こうやってたまこちゃんと一緒に過ごした楽しかった日々、悲しかった最後の日々を文章に換えて昇華していく事も時間を使えていいのかな?と思います。
ご苦労様でした。後は泣いて喚いて食べてしゃべって寝て、
たまこちゃんを供養してあげてくださいね。
Posted by nee at 2007.01.15 08:59 | 編集
>mihoさん
たまこのたまに泣いてくれてありがとう。
mihoさんがたとえコメントをくださらなかったとしても、私にはmihoさんがどのように思ってくださったか、きっとわかりましたよ。
最後は少し苦しい思いをさせてしまったけど、その前に一緒に過ごした楽しい9年間を思い出すと、たしかにたまこは十分幸せだったのかも、と思えてきます。人間だって動物だって、死ぬ時に多かれ少なかれ苦しい思いをするのは仕方ないものね。
気の済むまで泣いて、時が癒してくれるのを待とうと思います。いつかきっと、たまこの楽しそうな姿をたくさん思い出せるようになると思うので。

>非公開コメント(Posted at 2007.01.13 00:20)さま
桃梨○○さま
初めまして。コメントありがとうございます。たまこのことを気にかけていてくださったのですね。
こんなふうに私の知らないところでも、たまこのことを心配していて下さった方がいるということだけでも、気持ちが温かくなります。
桃梨さまも最愛の猫ちゃんを亡くされたばかりなのですね。お気持ちお察しいたします。家族同様のペットが1匹いなくなるというのは、本当につらく虚しいことですね。
たまこがきっといつも見守ってくれていると信じて、元気を出そうと思います。

>非公開コメント(Posted at 2007.01.13 05:29)さま
ルフェママさん
動物霊園の方が言って下さった言葉、とても楽になれる言葉ですね。本当にね、涙が枯れるまで泣きたいと思うのです。
「A Thousand Winds」、以前ブログにも載せていらっしゃいましたよね。紅白で秋川雅史さんが歌っていた映像を、今もう一度見ました。
たまこは灰になったのではなくて、今もきっと私のそばにいてくれるのですよね。

>Cheenaちゃん
Cheenaちゃんにも、ぜひ1度たまこに会ってもらいたかったので、間に合わなくて残念です。
そう。ペットを飼っている以上、必ずその死と向かい合わなければならないのですよね。とてもつらいけど、最後まできちんと見送ってあげることで、やっと飼い主としての責任をまっとうしたと言えるのでしょうね。
リフレのお誘い、ありがとう。優しいCheenaちゃんには、今の私だけでなく、どんな人も癒されるでしょうね。

>がらさん
私、泣きながら、どうして私はこんなに美しくない泣き方をするのだろう、と心のどこかで冷静に考えていたりするのですよ。本当に可愛げ気のない性格で(笑)。
そういうところは、人に甘えたりできない性格に通じるのでしょうね。
1人の時くらい、頭を真っ白にして、たまこのために泣いてみます。

>うさをさん
そうですね。たまこはもう楽になったのですものね。
なんだかねー、自分がいい飼い主だったという自信がないのですよ。アメリカに来てからの3年間はともかく、それまでは自分のことで精一杯だった時もたくさんあって。あまり構ってあげられなかったり、ごはんもドッグフードばかりだったり、色々反省点があって。
でもずっと愛していたこと、たまこを飼ったことを1度も後悔したことがないことだけは事実です。
あまりに悲しくて、現実逃避している部分もあるのだけど、きちんと向き合って思う存分泣くほうがいいのかもしれませんね。

>neeさん
たまこが私と最後まで一緒にいれたことを幸せに感じてくれていたことを祈るばかりです。たまこはあまりにいい子で飼い主孝行だったので、余計に自分が良い飼い主だったかどうか自信がなくて・・・。
ももんちゃんと虹の橋で出会って、今は仲良しになっているかもしれませんね。
たしかにこうやってブログに文章として自分の気持ちを書くことで、心も落ち着くし、気持ちが整理できています。人によって悲しみの癒し方はいろいろなのかもしれませんね。
Posted by tomo at 2007.01.15 12:51 | 編集
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