2009.06.01
アーミッシュの村へ
以前、プリンストンにあるDutchスーパーのことを書いたが、このたびnoirさんとあづ。さんとトムの4人で、ペンシルバニア州のランカスター地方に存在するアーミッシュのコミュニティーに足を延ばしてみることにした。プリンストンから車で2時間弱。
そろそろ到着かしら、と思った頃、リュックを背負って公道で馬に乗る少年を発見。その後、田園地帯を進むうちに、普通に馬車に乗る人たちが現れた。のどかな田園風景。家々にはためく洗濯物。バレーボールに興じる少年少女。なんだかとっても懐かしく、心落ち着く景色だ。アーミッシュコミュニティーはその他のアメリカ人から完全に孤立しているのかと思っていたが、アーミッシュの家の隣りに、車を持つアメリカ人の家があったりして、どうやら混在して共存している模様。
街の中心部と思われる場所には、完全に観光地化されたショッピングモールがあり、そこではアーミッシュが作った食品やキルト類が販売されていたが、働いている人たちは普通のアメリカ人で、「委託販売」といった感じ。
その後、Amish Farm and House という、アーミッシュの建築物や生活用品を保存して展示してある博物館のようなところに行ったのだが、ターゲットなどが入っている大きなショッピングモールの裏手という、ありえないほどわかりづらい場所にあった。


昼食は Amish Farm and House の人に勧められた、Family Cupboard Restaurant and Buffet へ。ここではアーミッシュ独特の料理が食べられるらしいが、働いている人はアーミッシュではない。私が頼んだのはチキンポットパイ。すいとんっぽいホームメイドヌードルの入った優しい味のポットパイであった。あづ。さんの頼んだザワークラウトの酸っぱさには驚き。これまで経験したことのない、毛穴が全開になるような酸っぱさであった。あれだけ酸っぱければ、かなり保存がきくことだろう。チャウチャウという野菜のピクルスは少甘激酸。
シューフライパイというアーミッシュのパイ。これも甘ーいけど、少量食べるぶんにはおいしい。プリンストンのDutchスーパーでも売っているのを後日発見。
レストランを後にする時、ちょうど入店するアーミッシュ老夫婦に出くわした。アーミッシュは外食しないとなんとなく決め付けていたけれど、そういうわけでもないようだ。アーミッシュの中にもいろいろな人がいて、本当に電気を使わない生活を貫いている人もいれば、多少は文明的な生活を取り入れている人もいるのかもしれない。帰りは仕事帰り?学校帰り?のラッシュなのか、ものすごい数の馬車が公道を行き来していて、なかなか壮観だった。馬車と車が行き交う不思議な光景を一生忘れることはないだろう。

街の中心部と思われる場所には、完全に観光地化されたショッピングモールがあり、そこではアーミッシュが作った食品やキルト類が販売されていたが、働いている人たちは普通のアメリカ人で、「委託販売」といった感じ。
その後、Amish Farm and House という、アーミッシュの建築物や生活用品を保存して展示してある博物館のようなところに行ったのだが、ターゲットなどが入っている大きなショッピングモールの裏手という、ありえないほどわかりづらい場所にあった。


昼食は Amish Farm and House の人に勧められた、Family Cupboard Restaurant and Buffet へ。ここではアーミッシュ独特の料理が食べられるらしいが、働いている人はアーミッシュではない。私が頼んだのはチキンポットパイ。すいとんっぽいホームメイドヌードルの入った優しい味のポットパイであった。あづ。さんの頼んだザワークラウトの酸っぱさには驚き。これまで経験したことのない、毛穴が全開になるような酸っぱさであった。あれだけ酸っぱければ、かなり保存がきくことだろう。チャウチャウという野菜のピクルスは少甘激酸。

レストランを後にする時、ちょうど入店するアーミッシュ老夫婦に出くわした。アーミッシュは外食しないとなんとなく決め付けていたけれど、そういうわけでもないようだ。アーミッシュの中にもいろいろな人がいて、本当に電気を使わない生活を貫いている人もいれば、多少は文明的な生活を取り入れている人もいるのかもしれない。帰りは仕事帰り?学校帰り?のラッシュなのか、ものすごい数の馬車が公道を行き来していて、なかなか壮観だった。馬車と車が行き交う不思議な光景を一生忘れることはないだろう。
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Posted by burgle.tenshikazumi.com/breeks/cohune.html at 2015.04.07 19:47 | 編集
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